「VR250ライン」 「FEライン」 「レベントラックオーブン」 ご活用リポート

郷土食 「おやき」 を世界の表舞台へ

有限会社 いろは堂 様 (長野県長野市)

古くから長野県の家庭で食べられてきた郷土食「おやき」。小麦や雑穀などの粉を練った生地に、地元で採れる季節の食材などを包んでつくるソウルフードだ。そのルーツは、縄文時代に遡る。このシンプルで機能的な食べ物は、稲作に不向きな土地でも手軽につくれる食品として重宝されてきた。
長野県の一部地域で大切に育まれたこの食文化は、時を経た現在、一躍脚光を浴びている。
中に包み込む具材の種類は、まさに無限大。食事にもスイーツにも応用できる。皮で具材を包んだ形態は、ワンハンドで手軽に食べられるので、食べるシーンも大きく広げられそうだ。
「おやき」の新たな市場開拓に積極的に取り組む「いろは堂」様。
その最前線で奮闘する専務の伊藤拓宗(いとう ひろむ)様、工場長の塚田勇希(つかだ ゆうき)様にお話を聞かせていただいた。

「おやき」 文化の発信基地

1925(大正14)年、長野県小川村に菓子店の暖簾(のれん)分けで誕生した「いろは堂」様。
その後、同県鬼無里(きなさ)村に本店を移し、お菓子とパンの製造販売を生業にして歴史を刻んできた。
転機となったのは、1965(昭和40)年。家庭料理だった「おやき」を初めて商品として製造するようになったのである。
「長野県の関係者が鬼無里村の視察に来た際、お昼に食べていただいたのがきっかけでした。とてもおいしいと評判になったんです。ちょうどその頃、お菓子やパンだけでは先が見通せない状況があって、次の一手を模索していました。それならつくって売ってみようとなりましてね。当初、『おやき』は家庭でつくるもので、お店で買うものじゃないと言われて、思うように事が運ばなかったと聞いています」。
そう話すのは、専務の伊藤拓宗様。
しかし、この時の「いろは堂」様の先進的な一歩が、家庭料理だった「おやき」を長野県を代表する名産品へと成長させる契機となったのは間違いない。
そんな同社は、2022(令和4)年7月、長野市内に工場と店舗を一体化させた新施設「OYAKI FARM」(おやきファーム)をオープンさせた。
ここは、同社が「おやき」文化の発信基地と位置付ける拠点で、「おやき」という食文化を後世に残し、日本中へ、さらに世界中に発信していく役割を担っている。

見せる工場で生産ライン大活躍

まずは、塚田工場長の案内で工場エリアから見せていただいた。
衛生管理が行き届いた工場内では、テンポ良く「おやき」の生産が行われていた。
生産ラインは2系統。工場の真ん中に弊社の生地分割ライン「VR250ライン」があり、同機で秤量分割された生地は、人手による包あんチームへと渡されていく。こちらでは、野菜などの具材が大きいものや繊維質が多いものを手包みしている。
その外側を囲むように設置されているのが包あん成形ラインで、前述の「VR250ライン」に、自動で具材を包あんする「FEライン」が接続されている。
この日は、人気の具材「かぼちゃフィリング」の「おやき」がつくられていた。3時間で5千個を自動生産するという。 
生産の様子を見ていると、塚田様がすかさず解説を入れてくれた。
「うちの『おやき』は、生地に特徴があるんですよ。水分量が多くてとにかくやわらかい。パン生地に近い感じですかね。私も初めてこちらに来た時には、こんなにトロトロの生地で本当に成形できるのか不安でした。とにかく技術屋泣かせ、機械屋泣かせの生地だったと思います(笑)。今は、レオンさんのサポートもあって、何とか自動生産を定着させることができました」。
塚田様が生産ラインを見やる目は、苦労を共にした戦友を労(ねぎら)うかのようだ。

秘伝の生地について伊藤専務にも聞いてみる。
「この生地は、うちで『おやき』製造を始めた時から変わっていません。先代が、パンの製造をしていた時に得たノウハウがベースになっています。これからも継承していくべき貴重な財産です」。
伝統の「おやき」を機械生産することに抵抗は無かったのか、率直に聞いてみた。
「正直、いろは堂の『おやき』と言えば、手づくりのイメージを持たれている方が大勢いらっしゃると思います。でも、うちの売りはそこではないんです。むしろ機械で安定生産して、一人でも多くの方に手ごろな値段で供給したい。そして『おやき』の美味しさ楽しさをもっと知ってもらいたい。結果として未来にその存在を残していきたい。そちらの使命感のほうが大きいです。だから『OYAKI FARM』では、機械で生産しているところをあえて見ていただいてます。私たちは、『おやき』をこうして安全で衛生的につくっていますと言うメッセージを込めて」。
そして、伊藤専務はこう続けてくれた。
「とは言え、先代から受け継いだ生地を、機械に合わせて変えることだけはしたくなかった。そのままの生地で安定生産できる機械を見つけるのは、大変でした。
幸いレオンさんが『包あん機』の技術と『製パン機』の技術の両方を持っているメーカーだったので、より良い提案をしてくれたのかなと思っています」。

おやつにも食事にもスイーツにも

降り注ぐ光、包み込む木のぬくもり。
店内に入ると、建物のエネルギーにまず圧倒される。
そして、目の前に広がる「おやき」のエンターテインメントにワクワクが止まらない。
ここ「OYAKI FARM」の店舗エリアは、そんな「おやき」をより身近に感じて、バリエーションの楽しさや未来への可能性を感じさせてくれる場所である。
「おやつにもなる、もちろん食事にもなる、スイーツにだってなれる。『おやき』の持つポテンシャルを我々もまだまだ引き出し切れていないと思っています。そこを上手く商品化して皆さまに提供できれば、知名度も人気もますます上がってくると考えています。決して一時的な『おやき』ブームをつくりたいのではありません。商品や文化を後世にしっかり伝えていきたい。その気持ちは、同業者の皆さまも同じだと思います。弊社がというよりも、志を持つ一人として、少しでもお役に立ちたい。それだけです」と伊藤専務。「おやき」への愛情は人一倍である。

絶対に必要な場所

「鬼無里の本店は、弊社にとって原点というだけじゃなく、『おやき』文化を伝えていくのに不可欠な場所です。人材の確保や物流を考えて新工場は現在の場所に構えましたが、あえて本店と「OYAKI FARM」の立ち位置を差別化しようと考えたんです。
かたや伝統をとことん守って残していく。かたや伝統に縛られず新しいことにチャレンジしていく。その相乗効果で、もっと面白いことができるのではないかと思いました。若い世代や、長野県に馴染みの少ない方でも観光のついでに「OYAKI FARM」に寄って、まず『おやき』に触れていただく。それでもっと深く知りたいと思ったら、本店で伝統の『おやき』をまるごと体感していただく。
結果的に『おやき』ファンが日本中に、そして世界中に広がってくれたら嬉しいですね」
そう話す伊藤専務。未来に向けての歩みは着々と進行中だ。
澄んだ青空、はるかに見渡せる山々。この長野の素晴らしい眺望のように、「いろは堂」様の視界も、ますます良好である。